おはようございます。ワンド作家nicoです。
人は誰しも、それぞれのシーンや対する人において、
さまざまな自己を持っています。
仕事に取り組む時の自分と、家でくつろいでいる時の自分。
同じですか?
家族の前ではおしゃべりなのに、外に出たら静かな人になる。
恋人にはワガママを言うのに、友人の前ではお世話係になる。
こんな風に、○○用の自分というものが存在しています。
それで、
自分のことを猫をかぶっていると思ってしまったり、
二重人格なのではないか?と極端に悩んでしまう人がいます。
「本当は○○なのに…!」 と。
本当の自分というのは、1人のときの自分でしょうか?
いえいえ。
実は、1人でいるときも私たちは 「1人で居るとき用の自分」 になっています。
そうなると、本当の自分ってなんでしょうね。
分からなくなりますね。
弱い者いじめをしている人が、人知れず花壇のお花の世話をしている。
=本当はやさしい人。
ということではありません。
どちらもその人です。
その人はいじめっ子であり、やさしい人でもあるのです。
パズルのピースのようにどれもがその人の一部で正解です。
それでいて、パズルが完成したとしてもまだ平面的なものです。
裏面もどうなっているか分かりません。
全部が本当であって本当ではないのです。
どのピースの自分も心地よく居られたらいいですね。
理想でしょうかね^^?
人の評価でもいろんな風に見られていることが分かりますよ。
nicoの場合、
あるところでは自由と言われ、あるところでは気遣いがあると言われます。
自由気ままにふるまっているように見ている人もあれば、
気を遣って自分を後回しにするタイプという風に見ている人もいるのです。
あるところでは少年のようだと言われ、
あるところではおばあさんと話しているみたいと言われます。
「ばあちゃんと話しているみたい!!」
と小学生の頃から言われることがありました。
それも先生から言われていたのですよ(笑)
最近も中年男性からそのように言われました。
慣れっこです!
時間は3時間ほどみておいてください。
それでいいんだよ。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。