おはようございます。ワンド作家nicoです。
久しぶりに 『不思議・思い出日記』 です。
nicoは子どもの頃、不思議なことがあるたび母に報告していました。
怖い思いをしたこともあります。
不可解な現象もありました。
もう一度…と思う素敵なこともありました。
報告をするたび、母は冷静でした。
『そっかー、怖かったね。でも、分かるように言ってくれないと。』
どれほど怖かったか、どれほど面白かったか
nicoの感覚的な表現で伝えてもよく分からないというのです。
そのたび、
「冷たいなあ」
や
「分かってくれない」
という思いで悲しくなっていました。
この怒りを含んだ悲しみは正直に書くと、最近まで続いていました。
(父は父で自分が不思議体験をしても茶化すような人でした。
話しても笑い話にもっていかれるという…;)
祖母はとてもスピリチュアルな人で、不思議体験は数知れず。
そして大いなる自然への感謝、神様への感謝を
いつも忘れないようにと教えてくれていた人でもあります。
そんなおばあちゃんの姿をずっと見てきているのに関わらず、
母のこのあっさり具合はどうしたものかと理解に苦しむほどでした。
けれど、ある日ふと気付きました。
それもつい最近のことです。
母は、「現実的に生きることの大切さ」を教えてくれたんだなと…。
もし、nicoが不思議なことを報告するたび
必要以上に驚いたり、喜んだり、特別視しようとされていたら
もっともっと感心されようと、nicoは作り話をする子になっていたかもしれません。
そして、自分に手に負えないものにも近づいて危険な目に遭っていたかもしれません。
もしや母から自分は否定されているのでは…?という気持ちでいましたが、
それは全くの被害妄想で思い返せば一度も否定されていなかったのです。
働き者の母に対するさみしさはあったけれど、
今思えば自由にさせてくれ個性を尊重してくれていました。
それはnicoという存在をありのまま信じてくれていたからだと思うのです。
今、現実世界の素晴らしさを実感しています。
それに気付いたとき、
母に対して自然と「ありがとう」の気持ちが溢れてきました。
(父に対しては茶化してくれて最高と思います。今は^^)
nicoも自分自身の経験と感覚を否定しません。
ずっと目に見えない存在や世界を肯定しています。
目に見えるもの、視えないもの、得意な分野をそれぞれ担当する人が居ます。
その分野に忠実に、また同じ姿勢で取り組む人それぞれに敬意を払いつつ、
nico自身はずっと現実的な感覚を忘れないようにしたいと思っています。
ですからnicoは、「作り手でありセラピスト」ですし、
セラピストである前に「作り手」です。
これはnicoにとってとても大切なアイデンティティです。
このことを思い出させてくれた出来事に感謝しています。
&
(後) 10月11日(火)10:00~
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